2009年6月24日水曜日

最終回ですよ

4月に一時帰国しまして、はや2ヶ月がたちました。

今度の私の任地はブータン。


与えられた2年間を価値あるものにするため、


世界の何かに貢献するため、


世界の人々の笑顔と生活と価値観を知るため、


自分が成長していくため、


そして、応援してくれているみなさんの


期待と真心に応えるために


あと10ヶ月を


新たな地で過ごすことに決めました。


どんな出来事と出会いが待っているのか


楽しみです。


気分を変えるためと、このブログが扱いにくいために


今回をもって、中国アラシャン奮闘記は終了し、今後は場所を変えて


活動を紹介していきたいと思います。


ご愛読ありがとうございました。

そして、もしよろしかったら引っ越し先にて今後ともおつきあいください。


タイトルは「それいけブータン」です。

2009年6月22日月曜日

ブータン編







みなさま、お元気でしょうか。
来てます。ブータン。
バンコク経由でドゥルクエアに乗り換え、ブータンのパロ国際空港へ向かいました。
途中バングラディシュのダッカを経由したのに、全然放送を聞いていなかったのでうっかり飛行機を
おりそうになってしまった。あぶないあぶない。
その後、無事出発し、ヒマラヤ山脈を横に眺めながら
着陸態勢に入ると尋常ではない角度と距離で山の間をすりぬけながら降下していく。

おそらく山と主翼との間が100メートルもなかったと思う。
到着すると調整員がお迎えに。
空港から首都ティンプーまでは、およそ1時間半の道のり。
数日前まで豪雨に見舞われていたらしく、途中の高速道路(一応)は作ったばかりにもかかわらず
とんでもない落石で半分つぶれていたり、道路自体が流されて半分崩落したりしていた。

隊員ドミトリー(宿舎)は、はっきり言ってすごい。
何がすごいって、その漫画の数と本の数。懐かしのビデオテープの数。
そして、日本紹介グッズとか活動で使えそうな資料の数が半端じゃない。
日本でたくさん買ったり、用意したりして持ってきたのが無駄だったかも。
ものすごく(特に娯楽が)充実してます。
やっぱり小さい国だと皆でイベントとか協力しやすいからいいなあ。
ここに来てまず目につくのは犬。
野犬。とにかく多いので、夜は怖いです。
しばらく前に野犬狩りを行ったらしく、だいぶ減ったとのことだが、それでもまだまだ多い。
その上彼らは、朝から夕方にかけてはだらしなくその辺で寝ていて、夜になると一斉に吠え合う。
なので、そのうるささといったら犬の鳴き声がいろんな形で夢に出てくるほどです。

ブータンの人たちはほとんどが民族衣装を着て生活している。
女性はキラと呼ばれるものを、男性はゴという衣装を着る。
外国の文化を規制しているブータンでも、最近は様々な文化がどんどん入ってきていて、洋服を着る人が増えてきている。この前はミニスカートの女性がいて、さすがにこれにはインド人もびっくりです。
食事は基本、辛い。
主な野菜はChilli辣子)で、料理の多くにチーズが入っているため、コレステロール値が高い。
今のところ、朝はコーンフレーク、昼は宿舎の下の食堂にてカレーかインスタントラーメン、夜は同じくカレーか自炊でスパゲッティーが基本コース。炭水化物ばっかりです。ビタミン不足。
ブータンといえどもここは首都なので、思いの外便利。アラシャンなんてめじゃありません。
だって、キッコーマンの醤油とか信州そばとか韓国海苔とかパン粉とか売ってるし、日本(っぽい)、中華(っぽい)料理のお店もあるし、韓国、インド、タイ料理、ハンバーガーやピザもいただけるのです。
ここ数年でかなり便利になったらしい。
水や電気が不安定ですが、もうそんなのには慣れっこなので大丈夫。
ああ、そろそろ面倒になってきたので、活動や自宅については次回以降に。
では、ばいなら。

2009年5月13日水曜日

大きな歯

帰国してからしばらくして、突然奥歯のあたりが痛みだしました。

そこは親知らずのあるところで、以前からいつかは抜かなければならない日が訪れるところでした。

どうやらついにそれが頭を出してきて、炎症を起こしていたようです。

歯医者で抜こうと思ったら、

「まず炎症を抑えて、痛みがなくなってからでないと手術できない」と言われ、


「手術を希望するときに事前に電話で予約をしてくださいね」と歯科助手がほほ笑むから


手術の予約をしようとしたらGWのお陰で診療が休みになり、一週間ものびてしまい、


土曜日に予約しようとしたら次の日が日曜だと、
もしもなんかあった時に対応できないからダメだと断られ、


月曜日に予約しようとしたら月曜は混んでいるからだめだと言われ、


じゃあ、最初からダメな日を教えとけよ!!と腹が立ちました。


仕方ないから火曜日に、と言ったけれども、

来月から外国に行くので急いでいるんですと知らせたら一か月くらいしてから痛みだすことが稀にあるから抜かない方がいいと言われました。


この歯を残して世界の秘境に行く方がよっぽど危険なのでほかの歯医者を探すと

大学病院を紹介してくれました。


そこは、当日いきなり押しかけて、

いきなり手術を希望すると月曜日にも関わらずやってくれました。


でも、手術は大変痛いものでした。



最初に麻酔を4、5本打ちました。


びっくりするほど痛かったです。

次に歯茎を切開して、
親知らずが埋まっているのであごの骨を削り、(見ていないけど)


「うんとこしょ、どっこいしょ」ちっとも親知らずは抜けません。


歯が下向きに倒れているので歯を分割して引き抜こうとするんだけど、


「うんとこしょ、どっこいしょ」まだまだ親知らずは抜けません。


しかもとてつもなく痛いのです。


先生は「痛かったら教えてくださいね」と言い、何回か痛いですかと聞いてきたけれど、


教えたところでどうにもならんだろうとしばらく我慢しておりました。


「うんとこしょ、どっこいしょ」 なかなか親知らずは抜けません。

 
でも、あんまり痛いもんだからこらえきれずに


「先生、実はそうとう痛いです」とついに白状すると、


先生は親切なことに、さらに麻酔を3本も打ってくれました。(涙)

その後、先生は必死に私の親知らずをドリルで削り分割し、

パキパキと音を立てながら力いっぱい引っこ抜きました。


「うんとこしょ、どっこいしょ。」それでも、親知らずは抜けません。


歯が割れる音が麻酔の効いた口の中から耳に響いてきて何とも言えぬ気持ち悪さです。


「うんとこしょ、どっこいしょ」 とうとう親知らずは抜けました。


最後に2針縫って終了です。


私はもうあまりの痛さと、一時間の戦いでぜえぜえ息を切らし、汗だくになっていたのでした。


優しい先生は、


私にお疲れ様と言ってタオルをくれました。


まさか歯医者で汗ふきタオルを渡されるとは思いもしませんでした。


しかし、問題は手術が終わってからでした。麻酔が切れると痛みは半端じゃなく、


次の日になるとおたふくの人のようにほっぺたが腫れてしまいましたとさ。





みなさん、歯を大切にね。

2009年5月12日火曜日

報告

こんにちは。


相変わらず宮城に滞在中のワタクシです。


実は、中国から帰ってきたのにはいろいろあったんですが

このたび、任国(活動する国)を変更することになりました。

その国は、



ブータン王国 です。


きっと知らないでしょう。

どんな国かと言うと、半鎖国状態の農業国で、王様が国家元首で、九州と同じくらいの大きさの国。

場所は中国のチベットの南側でヒマラヤ山脈沿い。

標高は2500mくらいから7500mくらいまで。

文明や科学の発達・追及よりも国民が幸せを感じられる国づくりをしていきましょう

という考え方の国です。


そのほか、世界でいちばん料理の辛い国とのうわさも聞きます。

そのほかのことはよく分からないので、行ってからおいおい確かめていきたいと思います。


そんな訳で、6月1日に出国予定です。

今、英語を勉強しています。

思考が中国語になっているので、邪魔です。

2009年4月20日月曜日

日本からこんにちは

日本からこんにちは。



現在、宮城県の妻の実家へきています。



日本にいても、自分がそこにいるという実感が全然持てずなんだかふわふわしています。





それはさておき、こちらは桜がそれなりに残っていて、日本の春は本当にいいなあと感じました。



先日は学校の方へちょっと顔を出してみましたが、一年もたってないのにもう自分がいた場所ではないような、不思議な感じがしました。

でも、懐かしい方々にたくさん会うことができ、うれしくもありました。



今朝は妻と一緒に犬の散歩。



土手を歩くとタンポポの道ができていて感動した。


あと、

こっちのごはん(米)がめちゃくちゃうまい。

郵便や宅配を送るときに検査されない。

接客に笑顔がある。

街にゴミが落ちていない。

こんなちょっとした幸せを、とても尊いものだと感じることができるようになったこと。



中国に行ってたからこそなんだろうなあと振り返りました。

最初で最後の・・・

先日、ついに、授業をしました。

教えたのは2年3組。昨年ずっと国語の授業を受けさせてもらっていたクラスで、子どもたちも慕ってくれているので自分にとって思い入れのつよいところ。

そこに無理を言って授業をさせてもらったのでした。

内容は貼り絵と絵画のミックスしたような作品作り。

貼り絵と言っても簡単なもので、お花紙や折り紙などを切ったり折ったりちぎったり、丸めたりと、いろいろな使い方をして画用紙に貼り付け、

クレヨンなどで絵を足すだけ。

正直言って2年生にはちょっと難しい内容だったんだけど、あのクラスでどうしてもやりたかったもので・・・・どんまい。


というのも、実はいろいろ訳あって


中国での活動を終了して日本に一時帰国することになったからなのです。


美術の先生に帰国を伝えると

「ええっ!まだあなたの授業を一度も見てないのに・・・・残念だわ」
とすごく悔しがってくれた。
なので、時間がなかったけど急きょ手配して急きょ用意。

正直言ってもう時間ないからもういいやっていう気持も半分くらいあったんだけど、

最後だからこそ無理いってもやるべきだろうと思ったわけです。

で、やってみた結果。


まあ、上々です。
子どもたちも食いついてきたし、一番心配だった言葉の問題も特になく、

導入から説明、制作、感想まで一応想定した流れ通りにできました。
もちろん、初めてなので美術の先生にも一緒にいてもらいましたが、指導は全部一人で。
ちなみに、下の写真は授業の合間に行う「目の体操」の様子です。


というわけで、学校へ行く最終日に、中国での最初で最後の授業を行ったわけです。

もっと授業やりたかったなあ
・・・でも、楽しかったなあ。最後に美術教師になれてよかった!!

2009年3月31日火曜日

モンゴル族と日本人の結婚式


先日、アラシャンに住むモンゴル族の友人と日本人女性の結婚式があり、参加してきました。

お互い砂漠緑化活動をしていて仲よくなったのですが、お互い言葉は違い、生活習慣も育ってきた環境も違う。

しかもここ内モンゴルのアラシャンという辺鄙な場所に移り住む、勇気に感服しました。

結婚式に参加するのは2度目ですが、前回は漢族同士だったのでかなりスムーズに進行していた感じでした。

ただ今回は言葉が違うので、日本語と中国語とモンゴル語という3言語を使いながら式が進みました。
モンゴル族の人も皆基本的に中国語は話せるものの新郎の両親など、中国語教育を受けずに育った人たちはほとんど話せない。また、漢族の人はモンゴル語が分からない。
そして、日本から駆けつけた新婦の親族は日本語しか分からないので、3言語が必要というわけ。


この町にはなぜか日本語を話せるモンゴル族が何人もいるので、もちろん通訳をできるのですが。

式ではモンゴル衣装を着た新郎と和服を着た新婦が並んで立っていて、とても不思議な感じがしました。








そして、宴会と言えばやっぱり歌手
今回は馬頭琴奏者の伴奏つきで、歌手が司会も担当しました。












しかし、モンゴル族の人は基本的に自分のペースで物事を進めたがるので、新郎新婦が来


賓とやり取りしていても勝手に進行しようとします。あいさつの言葉なんかもご両人からはなく(最後にはあったかもしれないけど)、司会が自分の言葉に酔っていて、えらく長かった。

で、やっぱり白酒(バイジュウ)。
お椀に二杯。






無理です。一杯だけ頑張って飲み干したけど。



式には、ちょうど植林ツアーに参加していた日本人の団体も参加してもらって、貴重な体験をしてもらいました。
中国では、新郎新婦からの酒を飲んだ後は自由に帰っていいので、お酒の飲めない、そして日本語しか分からない彼らは早めに引き揚げて行きました。

自分も頃合いを見て退散。

料理は羊を3頭ほど潰して丸焼きにし、皆さんに振舞っていました。

きっと苦労は絶えないと思うけれど、




これからの二人の生活が幸せであるように心から願わずにはいられない素敵な式でした。